食べ物のシェア、する?しない??

どうも、santapi総研です。ブログを更新しない間、死ぬほどの恋……じゃなくて死ぬほどの風邪をひいてました。体痛い、喉痛い、頭痛い……10年に一度の風邪を。テラハのハワイ版を観ていた方はおわかりですね。

 

さて今日は、先日、近所のインドカレー屋に入ったときの出来事について話したい。私は選べるカレー1種とドリンクセットのAランチを食べていた。ちなみに選んだのはバターチキンカレーだ。

 

途中で30代前半くらいのカップル(もしくは夫婦)が入店し、隣の席に座った。

 

しばらくメニューを見て、彼女が先にオーダーした。

「Aランチで、キーマカレーとコーラ。」

 

続いて彼の番。

「Aランチで、キーマカレーとコーラ。」

リピートするよねー。

 

すかさず彼女。

「え、何で!?別のもの頼んだほうが良くない???」

この一言で、もちろん彼は変更を余儀なくされた。確かほうれん草カレーに。

 

 

その瞬間の私のざわつきたるや。

なぜ?なぜシェアすると思ってるの??

と心が叫びたがっていました。

 

 

なぜなら私は、食べ物のシェアが苦手だからだ。目の前でそれはそれは美味しそうなノドグロを誰かが独り占めして食べていたとしても、分けてほしいとちっとも思わない。

 

たとえ量が多すぎて食べられなさそうでも、「食べてもらえる?」と自分から頼まないし、相手から頼まれても断る(断りたい)。

 

恐らく、食事をシェアするかしないかは「場合による」と答える人が大半だろう。

 

・ランチだったらシェアしないけど、飲み会だったらむしろシェアしたい。

・定食ならシェアしないけど、中華だったらむしろシェアしたい。

・女子会でデザートを頼んで「一口食べてみない?」と聞くのはむしろ礼儀だ。

 

この、なんとなく分かってるよね~的なシェア約款に物申すということは、1カ月前から調整さんを使って予定調整をしてくれた飲み会幹事に対して、幅広で提示してくれた日程を全部×で返すような無礼さだ。

 

わかってはいるし、できるだけ折り合いをつけて生きてはいる。でも私はシェアが苦手だ。ここでは、その理由を考えてみたい。

 

 

まず無視できないのは、育ってきた環境だ。私はシェアが苦手だが、これまでの人生でシェアをしたことがないわけではない。むしろ人並み以上のシェア率である。

 

なぜなら、我が家は朝昼晩、大皿料理だったから。1人分が出るのはカレーもしくはシチューしかなかった。なんなら私の部屋も兄弟とシェアだったし、寝るときだって川の字だった。

 

だから、だ。実家から独立して、自分のお金で自分の食べたいものを食べたいだけ食べられるということは至福でしかなかった。きっと自分の家、自分の車、自分の畑、なんでもいいと思うのだけど、自分用への異常なほどの憧れがマグマのように今の自分を突き動かしている。全部、全部に名前を書いておきたいんだぜ!的な!!

 

シェアを嫌うのはやはり、育ってきた環境による《パーソナル》への飢えからきているのだろう。異常なほどまでの(2回目)。

 

 

もう1つの理由は、どこかの南海キャンディーズ山ちゃんが騒ぎそうな「間接キス問題」。そのほとんどは異性とのシェアで起こるが、私にはナチュラルなことでは決してない。

 

 

前にファミレスに入ったときのこと。隣に先輩後輩と思われる男女が座った。

 

男はトンカツを、女はタンシチューを頼んだ。

食事の前半で、男は女に「こっち食べてみますか?」と言った。恐らくこれは、こっちあげるからそっちくれよ大作戦だ。

 

そこで私は、先輩らしきその女の放った一言におったまげたのだった。

 

 

「食べかけでもいい?」

 

 

恐らくまだ手をつけていないタンが残っているのに、食べかけをあげるという発想である。

 

 

引いたポイントは2つある。

 

1つは、付き合ってもいない人に自分の口に入れたものを食べさせる、そして逆に他人の口に入ったものを食べられるというコミュニケーションに。テラハの徳井さん風に言うと、これは紛れもない前戯だ。相手の口に入ったものを受け入れられるかを軸にマッチングしていけば、運命の相手と出会ってしまいかねない。

 

ふと、中学の頃、駄菓子屋で打っているカリカリ梅を半分食べて半分私にくれた女友達がいたことを思い出した。核家族にはない愛情の深さを学べということか。

 

 

2つ目は、知らない人だから余計なお世話だけど、その女の中で、色気より食い気が勝ったんだなという憶測。純粋な食欲の勝利!4つほどしかない貴重なタンをまるまる1つあげるつもりはないんだぜ!というポリシー!!

 

そういう人がハード面で生き残るのだろう。「まずは与えなさい」という哲学に疑問が生じてきた。

 

 

私はいつかシェアが得意になるだろうか。

他人の口に入ったものを自分の口に入れてもなんとも思わないほどの、大きな愛を学ぶだろうか。

あるいは、自分の口に入ったものを他人の口に入れてもなんとも思わないほどの、食いしん坊になるだろうか。失礼、純粋な食いしん坊になるだろうか。

 

未来のことは誰にもわからない。ただし現時点での結論をここで。食べ物の好みもさることながら、食事の価値観の違いは、いつか何かのトリガーになる。