食べ物のシェア、する?しない??

どうも、santapi総研です。ブログを更新しない間、死ぬほどの恋……じゃなくて死ぬほどの風邪をひいてました。体痛い、喉痛い、頭痛い……10年に一度の風邪を。テラハのハワイ版を観ていた方はおわかりですね。

 

さて今日は、先日、近所のインドカレー屋に入ったときの出来事について話したい。私は選べるカレー1種とドリンクセットのAランチを食べていた。ちなみに選んだのはバターチキンカレーだ。

 

途中で30代前半くらいのカップル(もしくは夫婦)が入店し、隣の席に座った。

 

しばらくメニューを見て、彼女が先にオーダーした。

「Aランチで、キーマカレーとコーラ。」

 

続いて彼の番。

「Aランチで、キーマカレーとコーラ。」

リピートするよねー。

 

すかさず彼女。

「え、何で!?別のもの頼んだほうが良くない???」

この一言で、もちろん彼は変更を余儀なくされた。確かほうれん草カレーに。

 

 

その瞬間の私のざわつきたるや。

なぜ?なぜシェアすると思ってるの??

と心が叫びたがっていました。

 

 

なぜなら私は、食べ物のシェアが苦手だからだ。目の前でそれはそれは美味しそうなノドグロを誰かが独り占めして食べていたとしても、分けてほしいとちっとも思わない。

 

たとえ量が多すぎて食べられなさそうでも、「食べてもらえる?」と自分から頼まないし、相手から頼まれても断る(断りたい)。

 

恐らく、食事をシェアするかしないかは「場合による」と答える人が大半だろう。

 

・ランチだったらシェアしないけど、飲み会だったらむしろシェアしたい。

・定食ならシェアしないけど、中華だったらむしろシェアしたい。

・女子会でデザートを頼んで「一口食べてみない?」と聞くのはむしろ礼儀だ。

 

この、なんとなく分かってるよね~的なシェア約款に物申すということは、1カ月前から調整さんを使って予定調整をしてくれた飲み会幹事に対して、幅広で提示してくれた日程を全部×で返すような無礼さだ。

 

わかってはいるし、できるだけ折り合いをつけて生きてはいる。でも私はシェアが苦手だ。ここでは、その理由を考えてみたい。

 

 

まず無視できないのは、育ってきた環境だ。私はシェアが苦手だが、これまでの人生でシェアをしたことがないわけではない。むしろ人並み以上のシェア率である。

 

なぜなら、我が家は朝昼晩、大皿料理だったから。1人分が出るのはカレーもしくはシチューしかなかった。なんなら私の部屋も兄弟とシェアだったし、寝るときだって川の字だった。

 

だから、だ。実家から独立して、自分のお金で自分の食べたいものを食べたいだけ食べられるということは至福でしかなかった。きっと自分の家、自分の車、自分の畑、なんでもいいと思うのだけど、自分用への異常なほどの憧れがマグマのように今の自分を突き動かしている。全部、全部に名前を書いておきたいんだぜ!的な!!

 

シェアを嫌うのはやはり、育ってきた環境による《パーソナル》への飢えからきているのだろう。異常なほどまでの(2回目)。

 

 

もう1つの理由は、どこかの南海キャンディーズ山ちゃんが騒ぎそうな「間接キス問題」。そのほとんどは異性とのシェアで起こるが、私にはナチュラルなことでは決してない。

 

 

前にファミレスに入ったときのこと。隣に先輩後輩と思われる男女が座った。

 

男はトンカツを、女はタンシチューを頼んだ。

食事の前半で、男は女に「こっち食べてみますか?」と言った。恐らくこれは、こっちあげるからそっちくれよ大作戦だ。

 

そこで私は、先輩らしきその女の放った一言におったまげたのだった。

 

 

「食べかけでもいい?」

 

 

恐らくまだ手をつけていないタンが残っているのに、食べかけをあげるという発想である。

 

 

引いたポイントは2つある。

 

1つは、付き合ってもいない人に自分の口に入れたものを食べさせる、そして逆に他人の口に入ったものを食べられるというコミュニケーションに。テラハの徳井さん風に言うと、これは紛れもない前戯だ。相手の口に入ったものを受け入れられるかを軸にマッチングしていけば、運命の相手と出会ってしまいかねない。

 

ふと、中学の頃、駄菓子屋で打っているカリカリ梅を半分食べて半分私にくれた女友達がいたことを思い出した。核家族にはない愛情の深さを学べということか。

 

 

2つ目は、知らない人だから余計なお世話だけど、その女の中で、色気より食い気が勝ったんだなという憶測。純粋な食欲の勝利!4つほどしかない貴重なタンをまるまる1つあげるつもりはないんだぜ!というポリシー!!

 

そういう人がハード面で生き残るのだろう。「まずは与えなさい」という哲学に疑問が生じてきた。

 

 

私はいつかシェアが得意になるだろうか。

他人の口に入ったものを自分の口に入れてもなんとも思わないほどの、大きな愛を学ぶだろうか。

あるいは、自分の口に入ったものを他人の口に入れてもなんとも思わないほどの、食いしん坊になるだろうか。失礼、純粋な食いしん坊になるだろうか。

 

未来のことは誰にもわからない。ただし現時点での結論をここで。食べ物の好みもさることながら、食事の価値観の違いは、いつか何かのトリガーになる。

すべての不幸の生みの親は、嫉妬心

こんばんは、明日やろうは馬鹿野郎、santapi総研です。

 

「人と比べることは不幸の始まり」という最近気に入っているフレーズがある。この思考は「好きの反対は嫌いじゃない、無関心」くらいありふれていて、数年前にふと立ち読みした金持ちと結婚するための婚活本にも書いてあった。

 

「人と比べることから悲劇は始まんねんで」

 

文言は多少違うかもしれないが、関西弁だったことだけは確か。

 

そして昨年、人生の大先輩に言われて確信したのである。

 

「僕、人の自慢話って嫌いじゃないの。僕にとってはすごいことでも何でもないけど、喜んでるのを見るのは嬉しいから、良かったなって言える。」

 

“あなたにとっての幸せに心から拍手を送ります”というスタンスでいれば、結婚テロなどと慌てることもない。「だって私のことじゃないし」という余裕がある。

 

一方で、これが超綺麗ごとであるのもわかる。嫉妬にくるうのは、テレビ越しに羽生結弦選手の世界最高点スケーティングを見ているときではない。自分が何かにジョインしていて、誰かと同じものを目指し、そっちは手にしてこっちは手に入らなかったときだ。あるいは、既に手にしていることに気づかない、という欲張り構造もある。

 

そりゃ、簡単なことじゃないよ。奥さんと奥さんの昔の恋人との信頼関係を見せつけられたら、チョコばかり食べて、般若のような形相で髪をかきむしり、拳で壁に穴をあけてしまうよ。「なんでいっつもカズなんだよ!」「俺はカズとは違う!」ってなるわ。(『A LIFE ~愛しき人~』より)

 

あるいは、ずっと片思いしてきた男性を手に入れるためなら、自分を不自由な身体にしたという嘘を信じこませ、結婚して責任をとってもらうかもしれない。そりゃ、体外受精で彼の子を身ごもったりもするよ。(『奪い愛、冬』より)

 

でも、嫉妬している間じゅう、ずーっと苦しいのだ。寝ても覚めても負の感情が頭から離れないし、疑心暗鬼になるし、らしくない悪口が口をついて出て自己嫌悪にも陥る。そう、情緒不安定のオリンピック代表である。

 

自分で自分の価値を認めるのは簡単ではないし、いつもいつでも上手くいくなんて保証はどこにもないけれど、どこかでそれをしないと一生苦しむのである。カズ(キムタク)も自己卑下する壮大(浅野忠信)に言っていた、「自分の価値に気づけてないのは自分が認めてないだけだろ?」って。

 

しかし、この承認欲求という魔物を手なずけるのがまた容易ではない。自分で自分を褒めて満たされるのは自己肯定力の逞しい人だけであり、それ以外の人は、血の通った他人に褒められたがる。つまり、身内でもAIでも無理なのだ。

 

だが、褒める方の身にもなってみろ、そんなに暇じゃないから。褒めてほしがってるのはわかるのに、上手く褒めてあげられないことだって多々ある。というのも、褒めてほしがる人の話し方は「察して」感が強いのだ。「何それ超めんどくさいんですけど」とでも名付けよう。

 

昨日髪切ったんだ。

今ダイエットしてて。

こないだナンパされちゃってさ。

 

このように、ふわっと投げかけられる近況報告には「褒めてほしいの察して」という主成分が含まれている。こんな風に。

 

昨日髪切ったんだ。(可愛くない?)

今ダイエットしてて。(やせてるじゃーんって言って、はよ!)

こないだナンパされちゃってさ。(モテる女のしんどみ!)

 

もっと褒められたいVer.で言うと、オプションで自虐コーティングをお付けしましたみたいな人もInstagramでよく見かける。こんな風に。

 

私の顔、M美ちゃんの10倍(;・∀・) #遠近法じゃありません #超絶美女と話せてしあわせ #明日からダイエット #いつも言ってる←

 

どこかの指原梨乃が「怖い怖い怖い!絶対思ってないでしょw」とか言って奇襲してきそうである。

 

褒めてほしがる人の「察して」という雰囲気が、逆に褒めてやんないぞ!という気持ちにさせる最大の要因は、その事柄が大したことないからだと思う。大前提として、すごいことをしている人はオートマチックに褒められるものだが、そういう人は大抵人格者だから褒められることを求めはしない。ますます称賛は集まるし、人望も厚くなるし、たぶん羽生結弦という名前である。

 

弱いカードでも褒めてくれるのは、身内とか恋人とか自分を狙ってる人だけで、そもそも他人に褒められるためには小手先テクが必要だと思うのだ。

 

小手先テクとは、例えば褒めてほしいことを自分が先に言ってしまうこと。こんな風に。

 

昨日髪切ったんだけど、可愛くない?えー可愛くない!?えーぶっちゃけ前よりいいでしょ!??

 

どこかの横澤夏子みたいだが、大丈夫、察してちゃんより全然褒めやすい。思うに、人との会話で一番楽なのは、オウム返しなのだ。あんまり聞いてなくても、聞いてる風を出せる。それに誘導があると、どう褒めてほしいのかを間違うことがない。

 

可愛いと言われたら、可愛いと返す。

大変だったと言われたら、大変だったねと返す。

私の方がM美ちゃんより可愛いと言われたら、私の方がM美ちゃんより可愛い……じゃなくて、あなたの方がM美ちゃんより可愛いと返す。

 

この小手先テクだが、語尾を(笑)にする、褒められたら褒め返す、何回も同じ人にはいかないという基本ルールを押さえれば、褒められる確率はぐっと上がるだろう。自分で自分を褒めて相手にも褒められれば、イイ気分は単純に倍なので、メンタルヘルス的にもよさそうだ。

 

ここからは冗談抜きで言うが、最初に自分で自分を褒めるのは意外と大事だ。自分をよく知っているのは自分だし、労わってあげられるのも自分以外にいない。人と比べたら全然できてなくても、人と比べる必要が果たして本当にあるのだろうか(いや、ない)。

 

よく海外ドラマで、何か責められるようなこと(大抵不倫)をした人が「僕は悪い人間じゃない」とかなんとか言って許しを乞うシーンがあるが、健やかなるときも病めるときも自分は自分の味方でいないといけない。そうじゃないと一生、情緒は不安定なままだ。

 

結論、端的に言って、すべての不幸の生みの親は嫉妬心である。羽生くん、おめでとうございます。

 

santapi総研

松本伊代の線路内立ち入り、「私は絶対しない」と言える理由

こんにちは、ゆりやんレトリィバァのLINEスタンプを購入したsantapi総研です。ちえみより~夏子より~ゆりやんがすっき~~。

 

先日、小学校の同窓会のお知らせがLINEで来た。

 

はっきり言って、小学校6年生の頃なんて、ろくな思い出がない。中でも、クラス対抗の長縄大会(1人ずつ入っては抜けていくスタイルで、連続回数を競うもの)の練習で、クラスで1人だけ入れなかった思い出黒歴史ナンバー1(断トツ)。大会までには入れるようになり、私のクラスが1位を獲ったというちょっとイイ話なのだが、あーあツラかったなあって思いだけが色濃く残っているのである。あーあ長縄を回す係にしてくれればよかったのになあ、という恨み節も未だに出る。やれやれ。

 

長縄に入れなかった子供は基本、大人になってからも困る。

 

人混みで人を上手く避けられないとか

信号の無い横断歩道で、渡るタイミングがつかめないとか

運転中、延々と右折できないとか合流できないとか

 

体が勝手に動く感覚(と度胸)が備わっていないので、人に迷惑をかけない程度だが生きづらさを感じているのである。

 

最近世間を騒がせたニュースに、タレントの松本伊代早見優の「線路内立ち入り騒動」がある。松本伊代が自身のブログに、京都の線路内に侵入して撮ったツーショット写真を載せたことで炎上。書類送検の事態にまでなった。

 

ワイドショーのコメンテーターも、「うーん、注意書きの看板に気づかなかったんですかね……?」とか、悪いっちゃ悪いことだけど何か厳しすぎない?みたいな心境からか月並みなことしか言えない始末。きっと明日は我が身と思って、SNSで何らかの写真を消した人も少なくないだろう。この騒動とは関係ないけれど、知人は裁判員裁判の候補者に選ばれたって話をFacebookに投稿し、その翌日には消していた。そう、「普通投稿しなくない?しなくてよくない?」ってことを無邪気に投稿する人は一定数いるのである。

 

でも私は「線路内に立ち入ることはない!」と正々堂々と言える。それはなぜか。法令遵守がどうとか常識がどうとかの話ではない。長縄に入れなかった子供が、線路内に入るわけがないのだ。TBS『モニタリング』で小説を出しませんかと持ちかけられて「小説を書く書かないではなくて、書けない」と言った、男気溢れる武田修宏風に言うならば、線路内に入るか入らないかではなくて「入れない」のだ。

 

だって、「カンカンカンカン」って警報音がもう怖すぎる。普通に踏切を渡るときだって怖いのに、あの限られた時間内にどうして線路内に侵入してポーズがとれるの?もっと言えば、どうして写真が撮れるの??私が新米マネージャーだったとして、和田アキ子に撮るのを指示されたとしても断る。電車のほうが怖いもん。

 

松本伊代のブログに書かれた「京都 竹林の道の途中 踏切で 優ちゃんとパシャリ」「その瞬間 踏切が鳴り 慌てて逃げる2人」という文も、なんなんだその余裕は。一歩間違ってたら電車にひかれていたという妄想だけで胸がキュッとなる私にとって、線路内立ち入りは「死ぬまでに絶対したくない10のこと」に値するのだ。

 

30年以上生きていれば、もちろん知っている。警報音が鳴ったからって、電車はそんなに早く来ないってことも、遮断機が途切れている部分まで走るか、遮断機をくぐるかすれば大丈夫だってことも。でも、降りてくる遮断機に当たったら打ち所が悪くて死ぬぐらいには思っている。こればかりは性格だからしょうがない。実際、警報音が鳴って踏切を渡らず待っていた私の脳天に、ちょうど遮断機が降りてきて(立つ位置が前すぎた)、死ぬほどびっくりしたことがある。まあ、死んではないけど。

 

では、長縄に入れなかった者の目には、どんな人がスマートに映るか。スマートとは、スタバでMacBook Airをカタカタさせているノマドワーカーのことではない。さらにはプレゼン中、スクリーンに映し出されたパワポ資料であえて前のページに戻ったりする人のことでもない(仕事できる風に見えるやつ)

 

スマートとは、エレベーターで降りるときに「閉」ボタンを押して出て行く人のことだ。アレは、長縄に入れなかった者にできる技ではない。どうしてドアが閉まる前に出られると思うの?挟まれるリスクを厭わないのはなぜ??アレに遭遇するたびに私はちょっと引いているが、大抵アレをするのは男性で、エレベーター内に女性がいたら、かっこよく映るのも事実だ。仕事もできそう。

 

もっとハードルが高いのが、田舎の電車によくあるボタン式ドア。シティボーイズ&ガールズには分からないかもしれないが、田舎には乗客がドアを開閉する電車もあるのだ。あの大物(電車のドア)を前にして「閉」を押して出て行く人こそ、キングオブスマートだ。

 

電車の外側には「開」ボタンしかないため、「乗ったら閉める、降りたら閉める」はマナーなのかもしれないが、人には得意不得意ってものがある。下車するのが自分だけだったとして、「閉」ボタンに片手をかけておいて身体がホームに出てからボタンを押してドアに挟まれないように手を引くなんて、長縄に入れなかった者には到底無理だ。思うに、深夜の自主トレで自動車相手に競うという山縣亮太選手ぐらいだろう、文明の利器に己の瞬発力をもって勝負できるのは。まったく。

 

とはいえ、慎重になりすぎる自分に嫌気がさすことは多い。母に聞くと、慎重すぎて歩き出したのも他の子供より遅かったらしい。大人になった今だって、満員電車で下車する人のために降りようものなら、「二度と乗れないかも」という不安に毎日さらされている。逆に自分が降りるときに微動だにしない人たちに囲まれようものなら、無駄にイライラしている私である。乗れないことも降りられないこともそうそうないのに、だ。

 

「今からバンジージャンプをしに海外に行けますか?」と街頭で声をかけられたとして、私がたとえ奴隷契約を結ばれたアイドルでも断るし、人生観を変えるためにバンジーをするくらいなら、『スタンフォードの自分を変える教室 』か『嫌われる勇気』か『人を動かす』を読む。あと不可解なのは、ダイヤモンドヘッドの頂上で撮ったようなフォトジェニックな写真をインスタにあげている人たち。一寸先は崖みたいなところで安全柵に腰をかけ、どうしてバンザイできるのだろう。みんなちがってみんないいことが、不思議だぜ。

 

でも先日、こんなことがあった。飲み会に遅れてきた人が、来る途中に何もないところで派手に転んだらしく、スーツは破けて腕と膝から血が出ていた。PCが入った鞄も地面に打ちつけたらしい。慎重にしか生きられない自分を呪うことも多いが、自分で自分を褒めたくなった瞬間であり、引き続き己の身体能力を過信しないと気を引き締めた瞬間でもあった。

 

結論、長縄に入れなかった子供は、大人になってからも一生、命を危険に晒してまでフォトジェニックな写真など撮れないし、エレベーターで「閉」を押しながら出るというスマートな行為もできない。でも、だからこそ結果的に法令を遵守し、命を大事に生きているとも言えるのだ。

 

santapi総研

ブルゾンちえみが「男は探さない、待つの」と言っていたが、婚活女子にも言えますか?

こんばんは、サブウェイでサンドイッチにドレッシングがかかっていなかったsantapi総研です。半分くらい食べ進めないと気づかないんですね、意外と。

 

ふとテレビをつけたら、ブレイク中の女芸人・ブルゾンちえみが出ていて、「(男は)探さない、待つの」と嵐の二宮君の前で流し目をキメていた。

 

ブルゾンちえみ

twitter.com

 

おお……とか思ったが、すぐさま思い直したのである。「それはブルゾンちえみに限る」と。ブルゾンちえみ以外の婚活女子は、四つ葉のクローバーと同じで、見つけたかったらマジで死ぬ気で探さないと。今回はそんな話をしたい。

 

なぜ「探しなさいよ、待たないの」と言いたいか。それは、私のようなアラサー後半で「好きなタイプがわからなくなってきちゃった」とか言う女は、女子力を磨いて行儀よくしていれば通信簿5がもらえるように男ができると思っている節があるからだ。

 

この考えは危険だ。私は知っている。私が20代前半の頃、ある仲間内の仮装パーティーに行ったときのことだ。そのパーティーは40代以上の女性も大勢いた。仮装する前は躊躇していたのに、いざ準備が始まったら皆さん、金髪ウィッグをつけたり、ホットパンツをはいたりとノリノリである。で、蓋を開けて見れば、大した仮装をしていない唯一の20代だった私が「かぼちゃクイーン」の称号を手にした。

 

で、ご丁寧にも私にこう伝えてくれた人がいたのである。

「○○さんたちが揉めてて……。なんで大して可愛くもないのに、あの子がかぼちゃクイーンなの、私のほうが仮装頑張ったのにって。」

 

おお、まじかウケる。でもそれ、私に言う必要あった?なんなら景品のクルミとクルミを割る用のペンチ、あげますけど?リスじゃねえんだからさ……って若き日の私は思ったものである。

 

つまり、こんなにキレイにして頑張ったんだから当然自分が選ばれるだろうと期待していたアラフォー女性が何人もいたということだ。

 

思うに、1日12時間も勉強して超難関私立中学校に合格した芦田愛菜ちゃんくらいだろう、受験が終わって「あとは待つだけ」と言えるのは。私だって、かぼちゃクイーンの称号を得るために、ただ待っていたわけじゃない。その場にいたいろんな人に投票してもらえるように営業して回った。だからブスでもかぼちゃクイーンになれたのである(ブスでもかぼちゃでもねぇわ←弱気)

 

 婚活でも、傷つきたくない一心でつい待ちの姿勢になってしまうと思う。でも、考えてみてほしい。

 

白雪姫だって毒林檎を食べさせられた。

人魚姫だって美声を奪われた(海の泡となって消えた)

ベルだってリアル野獣からの寵愛を受け入れた。

 

いかなるプリンセスも、王子に見初められるために命からがらリスクをおかしている。つまり、ある程度のリスクがないと何も得られない。自分を鼓舞するためにも「探しなさいよ、待たないの」と「考えるな、感じろ」レベルで言いたいのだ。

 

「婚活」や「独身限定」と付いたパーティーにひるんでしまう人も一定数いるだろう。びびって、何のセグメントもないパーティーに行ったとする。例えば会費が高いワイン会。響きだけで言えば、ハイスペックで上質な男性がいそうな気配しかない。

 

だが、蓋を開けたら男女比が2対8とか、エグいことアク抜きを忘れた金柑の甘露煮のごとし。そして貴重な男性陣には、呼吸器をつけたおじいちゃんとかが普通に紛れている(実話)。

 

「どれが好みなんだい?」

「7番のワインが好きです。」

「違う違う!お、と、こ、だ、よ!」

 

はい、大寒波到来、ここはロシアですか……。おじいちゃんは極端でも、自分はまだイケると思ってるおじさんとか。大人しそうな女性は目を合わせたら最後、隣の席をキープされ続けるのだ。

 

「美味しいワインが飲めてよかった!」と思えたらいいが、裏テーマ「イイオトコハオルカ」がうずくから、疲れるし落ちこむ。だから自分の勝手な期待との落差を生まないためにも、勇気を振り絞って、婚活のために用意されている何かに参加するのが近道なのだ。

 

婚活パーティーや出会い系アプリで出会ったなんて人に言えない……と思うかもしれない。自分にとっての常識は他人にとっての非常識だし、育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないし、婚活の手段をわちゃわちゃ言う人を気にしだしたらキリがない。出会った男性がヤリ目(体目当て)だったらどうしようという不安もあるかもしれないが、危険な目に遭う人は遭うし、遭わない人は遭わない。サブウェイでドレッシングがいつもかかっている人もいるけれど、何回もかかっていなかったことがある人(私)がいるのと一緒だ。

 

それに、自由の中に責任があるって成人の日にどこかの大人から聞いてるはずだ。個人の責任下にある自由を周りがとやかく言う権利はない。というか、何かにつけて足を引っ張りたがる人は一定数いる。女友達の結婚が羨ましくて、結婚式で知った旦那のスペックやら出会いやらをFacebookで全部ばらすとか。そんな意味の分からない世界の住人のことは無視して、フルスロットルで婚活しよう。

 

ということで、「婚活パーティー」と検索したら一番上に出てくるような12対12とかの個室婚活パーティーで得た気づきをまとめておく。

 

1. 無難かつ清楚な服装と髪型で行く。

霊長類最強女子の吉田沙保里選手だって、ある番組で「もし『レスリングをやめて家庭に入ってくれ』と結婚相手に言われたらどうする?」と聞かれて「結婚します」と即答していた。「結婚してから説得します」と。ファッションがアイデンティティーである女性もいるだろうが、ハンコをもらってから徐々に見せていこうな。

 

2. 年齢枠は自分の年齢がなるべく下になるものを選ぶ。

自分が35歳で年齢枠が「女性25歳~35歳」だと、エベレスト級のタフな登山になる。顔もスペックも同じくらいで25歳と35歳だったら、結婚までたどり着くかは別として、男性は25歳を選ぶだろう。だから「30代限定」とか「やっぱり同世代がイイ!」とかいう枕詞が付いたパーティーをお勧めする。

 

3. プロフィール欄はサービス精神で埋め尽くす。

初対面の男女がプロフィールを手がかりに5分とか10分とか会話をしなければならないのだ。プロフィール欄は「初参加で緊張してます(^_^;)」とかじゃなくて、「ABCクッキングスタジオに通ってます!得意料理はピーマンの肉詰めです(*^^*)」とか、自分の中の横澤夏子にチューニングしておこう。バラエティー番組の事前アンケートと一緒で、書きすぎくらいのほうが好印象なのである。

 

4. 「あの男はまともじゃなかった」という妄想禁止。

「全員と話せる」「女性は席を動かず、男性が回転寿司スタイルで回ってくる」という時点で、選ぶのは自分だという錯覚に陥る。例えば、コーヒーと煙草が混ざったような臭いを醸していて距離感も近くて個室に2人でいるのが耐えられない男性がいたとする。しかし、そんな一番ないわぁと思った男性にすら自分は選ばれないことも全然あるし、なんなら他の女性とマッチングしていたりするのだ。

 

もっとショックなのは、イイ男だった場合。12人いたら、たぶん1~2人くらいはいるだろう。カッコ良くて、コミュ力があって、スポーツができて……みたいな男性が。もちろん自分も第1希望にするわけだが、他の女性もオファーしているわけだから、当然マッチングは難しい。

 

で、婚活に疲れた心で自分を守るために思うわけだ。「あの葡萄はすっぱかった」と同じニュアンスであの男はまともじゃなかった」と。

 

たぶん婚活に本気じゃないとか

たぶん付き合っても浮気しそうとか

たぶん夜は歯磨きしないで寝るタイプだとか。

 

とにかくすっぱい要素を妄想してしまうが、これを続けると、出会う男性がいちいちすっぱく感じるようになって、挙句の果てには自分もすっぱくなって食べてもらえなくなる。かといって、自分の何が悪かったんだろうと思う必要も全然なくて(闇堕ちするから)縁がなかったんだな」くらいに留めておくほうが回復が早い。

 

最後に、婚活市場はすっぱい男性ばかりじゃない!と私が思うのは、周りでモテている男性やまともだと思われている男性も、婚活パーティーに行っているからだ。出会い系アプリも使っている。みんな普通に出会いに行っている。だから言う、「探しなさいよ!待たないの!!

 

結論、「探さない、待つの」は松野明美……じゃなくてブルゾンちえみだけで十分だ。婚活女子は、なりふり構わず、見つかるまで生涯の伴侶を探し続けよう。健闘を祈る!

 

santapi総研

上から目線で女性に説明したがる「マンスプレイニング男」に、さしすせその処方箋

こんばんは、職場で挨拶しようとしたら声がうまく出ず「妖精に話しかけられたのかと思った」と言われたsantapi総研です。

 

皆さんは、麻生久美子出演の電子書籍レンタルサイト「Renta!」のCMをご覧になったことはあるだろうか。これ↓

 

renta.papy.co.jp

 

麻生久美子が同僚とマンガの話で盛り上がっているときに、意識高い系上司が「マンガいいよな~」と近づいてくる。「でも仕事にメリットがある本も読んでおかないと!」と言われ、麻生久美子は「難しい本読んでれば、マンガ読むよりエラいんですか?」と内心オコ。で、意識高い系上司に「これ、オレのオススメ!」って、小難しいタイトルの本で頭ポンされるやつ。麻生久美子の飲み物を持つ手が怒りで震えているやつである。

 

女性なら一度は、この手の勘違い男に遭遇したことはあるはずだ。女性というだけで無知と決めつけて、何でもすぐ上に立ちたがる男性に。加えて解説したがる行為を、世界では「マンスプレイニング」と言うらしい。

 

マンスプレイニング(英語: Mansplaining)は、男を意味する「man」(マン)と解説を意味する「explain」(エクスプレイン)をかけ合わせたかばん語。一般的には「男性が、女性を見下ろすあるいは偉そうな感じで何かを解説すること」とされる。(ウィキペディアより)

 

悲しい事実として、純正のマンスプレイニング男であっても、それが彼を特徴づける一部である人と、それが全てになる人がいる。例えば合コンでマンスプレイニング男がいたとして、ディーン・フジオカに一寸の狂いもなく似ていたら、彼の印象はディーン・フジオカでしかない。マンスプレイニング男が高橋一生で「ウルトラソウル」と書かれた黒パンツを見せてきたら、悶絶して彼のマンスプレイニングは身を潜めてしまう。

 

つまり、マンスプレイニングがトゥマッチだと、彼を彼たらしめる要素として未来永劫語り継がれることになるのだ。何が毒かって、やはり「うざい」という感情を想起させることだろう。思うに、うざいという感情を致死量浴びると、本当にうざいかの判断ができなくなり、印象としてただうざいだけの人になってしまう。ワーホリで1年間羊を追いかけストレスフリーな生活を送ってきた女性でも、帰国して空港でうざい気配を感じ取ったら、彼の存在を探すだろうというレベル。うざいという言葉で逆引きできるくらい、稀有な存在なのだ。

 

ここで整理しておこう。自分(女性)がよく知らないことを求めたときに解説してくれる男性は、マンスプレイニング野郎じゃなくて、ただの親切野郎だ(言葉が過ぎました)。もしそれがうざいと思うのなら、プライドの豆の木が枝ごとに感情を持つレベルにニョキニョキと育っているので、早めに剪定したほうがいい。

 

次に、自分(女性)がよく知らないことを知らないと決めつけて求めてないのに解説してくる男性は、マンスプレイニング日本強化選手だ。本当に知りたくなったら、Google先生Yahoo!知恵袋先生か発言小町先生に聞くからいいよ!

 

そして、自分(女性)がよく知っていることを知らないと決めつけて求めてないのに解説してくる男性はマンスプレイニングのオリンピック日本代表選手。明らかに相手の専門分野ど真ん中に、基本のき砲を投げつけるという国技で金メダルを狙うんだぜ。

 

考えてもみてほしい。

小池百合子都知事に「アラビア語は右から読むんですよ」とか言うだろうか?

宇多田ヒカルに「気になる言葉とかメモしておいたほうがいいよ。作詞の役に立つから」とか言うだろうか??

 

一流の人は心も一流だから、きっとヨシヨシしてくれるかもしれない。ソチ五輪で「あの子、大事な時は必ず転ぶ」と言った森喜朗元首相のことを「後悔しているのでは?」と許してあげた浅田真央選手みたいに。

 

でも、一般女性にその包容力を求めても無理だ。もし私が歯医者で、歯医者以外の男性に歯の図を見せられながら歯の名称についていちいち解説されたら、何て失礼な奴だと思うに違いない。もし私が新聞記者で、記者以外の男性に「記者ハンドブックを1つ持っておくといいよ」とか記者にとって基本的なことを延々語られたら、バカにしやがってと思うだろう。マンスプレイニング男は、女性(もしくは自分以外のすべて)への「敬意」が足りないのである。

 

最後に対処法について。これがプライベートなら「FacebookもLINEもやってません」の一点張りでいいと思うのだけど、仕事となるとそうはいかない。最悪、バディ(相棒)にさせられることだってある。

 

だからマンスプレイニングには、通常は女性のモテテクとして語られる「さしすせそ」の処方箋を出そう。

 

すが

らなかった(←しってるではない)

ごい

んすある

うなんだ

 

棒読みでも構わない。だって、棒読みと察する男性は大抵マンスプレイニングの選手ではないから。

 

手なずけておくと何がいいか。「この子は俺より下」という発想から「俺が盾になってあげなくちゃ」という面倒見の良さが育ち、ここぞというピンチを救ってくれるかもしれないのだ。

 

例えばクライアントへの謝罪の場面で、「お前は何も言うな、俺にまかせろ」となったとする。本人は得意気に経緯を説明をしているが、クライアントはとっちらかった説明にポカン顔である。「そうですよね!」という相槌にイライラを隠せず、そこはスライディング土下座一択ではないのか?と全員が思っている。

 

そんなこんなで時間がすぎ、とりあえずお開きとなる。エレベーターあたりでクライアントに「あなたも大変ね」なんて声をかけられ、翌日には彼だけ担当を外され、ひとり命拾いするかもしれない。そうなるともう、マンスプレイニング男様に感謝せざるをえない。

 

手なずけレベルで言うとアレだ。例えば沈没寸前のタイタニック号に乗り合わせたとして、救命ボートに乗れるのがあと1人だったら、迷わず自分に譲ってくれるくらいの信頼関係を築くといい。あなたがローズじゃなくて、マンスプレイニング男がジャックじゃなくても、だ。

 

結論、マンスプレイニング男は褒めない限り重症化の一途を辿り、「さしすせそ」で手なずけた瞬間、小康状態を保てる。

 

santapi総研 

既婚女子のポジショントークに傷ついたから、都合よく解釈してみた

こんばんは、凍てつくような夜にsantapi総研です。会いたくて会いたくて震えないけど、寒くて寒くて震えます(至極当然)。

 

さて、今回のテーマは「既婚女子のポジショントーク」だ。SNSでの幸せな結婚報告が「婚テロ」などと言われるようになった世知辛い世の中だが、アラサー独身の私は、あえて浴びるように見ている変態である。

 

アラサーも後半になると、周りの女子の多くは結婚していて子供もいたりする。仲良しを除けば、次のステージに進んだ女子との共通の話題など「ない」に等しい。子持ち既婚女子だらけの会合に招かれた日なんか、妙齢の独身女には控えめに言っても地獄だ。オートマチックに「既婚女子マンセー係」か「キッズと遊ぶ係」(←重宝)に任命されることになる。

 

だって、結婚も妊娠もしていない者に発言権はないのだから。

 

というか、保身のためにダンマリを決め込むというのが正しい言い方かもしれない。余計なことを言って、そこから話が広がると思ったら大間違い、既婚女子のポジショントークの引き金になる。例えば、独身女子が「こないだ合コンで会った男性からのご飯の誘いをタイプじゃないから断った」という話をしようものなら、既婚女子が「今その人にLINEして、今!」と言ってくるとか。

 

独身女子に対する既婚女子のポジショントーク、別名「急に上から目線」とでも名付けよう。なんなら「最近は仕事忙しいの?」もバリキャリへの畏敬の念でもなんでもなく、急に上から目線のフックだったりするから気をつけて。もう弁護士が来るまで何も喋らないほうがいい。

 

結婚する人生もしない人生もあっていいし、個人の自由だ。だが、結婚できると信じてきた人間にとって、現実が伴っていない焦りというのは「言葉にできない」。そんなことを考えると、つくづく結婚とか妊娠が、女性の生理のように年頃になれば必ず来るものだったら、もっと堂々と構えていられるのにと思う。

 

30代中盤にもなると、疑いが生じてくる。当たり前に描いていた未来をあの子は手にしているのに、私は手にできていない。そんな自分の声は、既婚女子の急に上から目線より、自分を傷つける。自分を追いつめるのは、いつも自分なのだ。(『東京タラレバ娘』のドラマは原作通り33歳であるべきだった。あれは30歳の話ではない。)

 

そういえば、先日もこんなことがあった。既婚女子、婚約中の女子、独身女(私)というメンバーで行われたアラサー女子会での出来事だ。

 

 私は何の他意もなく、なんなら話題を振ったつもりで、

「旦那さんとケンカとかする?」

と既婚女子に聞いた。

 

そしたら、

「独身の子に、あんまり言わないほうがいいと思うんだ」

と、なんか鋭利なやつが返ってきた。

 

理由を聞くとこうだ。既婚者がほとんどの女子会に混ざっていた独身女子が、目を爛々とさせながら既婚女子から旦那の愚痴を聞きだしていたのを見て「この子はやばい、結婚できないだろうな」と思ったと。

 

このときの私の気持ちを察してほしい。

凍てつくこと、冬のロシアのごとし。

軽装で空港に降り立った瞬間、鼻水は凍るし、頭痛は痛い。今すぐ死ねるレベル、だ。

 

でも気を取り直して、

ロシア帽を買いに行って、ウォッカをふっかけてから、

やっとの思いで私はこう返した。

 「プライベートな話をグイグイ聞かれたら、言いたくなくなるよね」

 

というか、その目を爛々とさせていた女子≒私みたいな図で、ねえ何が言えるの?って感じだが、その雑巾の絞り汁みたいなコメントすら否定される始末。どうやら「周りの既婚女子が独身女子にネガティブな話を吹きこむせいで、結婚についての理想が打ち砕かれ婚期が遅れる」というのが彼女の持論のようだ。

 

私は、海外ドラマで逮捕時に言う「あなたには黙秘権がある。なお供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いられることがある……」と読み上げたい気持ちを堪えて、女子会が解散してから独身の女友達にLINEした。

 

私「既婚の女友達に旦那の愚痴を聞かされたからって、結婚したくないって思う?思わなくない??」

友「思わない、思わない!アフガンの近況を聞かされて、行きたくないと思うのとは別だよね」

 

本当に秀逸な返しをしてくれる……。おかげで雑巾の絞り汁を飲まされたような体験を笑いに昇華できた。

 

でも解せないことが1つあった。なぜ彼女はわざわざ私に「当てはまったらアウト!独身女子が婚期を逃すサイン」的な話をしたのか。ただのポジショントークと捉えるのは容易いが、彼女は賢く思いやりもある大人の女性だ。見下されたとはとても思えない。そこで、santapi判事は情状酌量の余地を与えるべく、ある仮説を立てた。

 

華やかに見える彼女の結婚生活は、実はしんどいのではないか。

それはそれは、旦那の愚痴の1つも言えないほどに。

 

私はポジショントークがなくても既婚女子の会合に独身女子は参加しないほうがいいと思っているが、それはお互いに気を使いすぎるからだ。旦那の愚痴は既婚女子の「リップサービス」みたいなところがあるし、それを目を爛々とさせながら聞く独身女子のポーズだって「礼儀」みたいなところがある。

 

だが彼女は、そんな茶番すらできない過酷な持ち場に今いて、ギリギリの状況下で自分を保っているのではないだろうか。だとしたら、急に上から目線で「その質問は結婚してから受け付けます」みたいな感じになるのもわかる。

 

思うに誰だって、今の自分の持ち場を否定されたくないのだ。独身女子は独身女子の、既婚女子は既婚女子の、それぞれの持ち場で必死にやっているわけで、それを否定されたら傷つく。自分自身が納得しているわけでもないという現実があるなら、なおさらだ。自分の持ち場から身動きがとれないとき、過去の選択を後悔するし、友達がうらやましいし、何より自分がつまらない人間になったように思える。

 

ポジショントークに走るのは、誰かを通してじゃないと自分を肯定できず、不安だからだ。どれぐらいの不安かって言ったら、例えば電車で、つり革も持たずピンヒールで立っているときに来るすっごい揺れ。満員なら誰かの足をかかとで踏みつけるし(めっちゃ痛いやつ)、ガラガラだったら転倒して捻挫するぜ? 

 

こんな都合のよい解釈をしたら、私の凍てついた心にじんわりとした温かいもの蘇ってきた。(←無事ロシアから帰国。)

 

彼女からしたら、私の言葉のニュアンスが探っているように聞こえたのかもしれない。何らかの地雷を踏んでしまったのかもしれない。もしそうだとしたら謝る、ごめんな。そうだ、今度なんか美味しい物でも食べに行こう。こんな結婚も妊娠もしていないアラサー後半の私だけど、話を聞くことくらいできるし、毎週テラスハウスを観ていれば、他人との共同生活が難しいってことくらいわかるんだからね!

 

結論、既婚女子のポジショントークにいちいち傷つくくらいなら、今は独身女子の友達を増やして、定年後に再会しよう。そんなの寂しすぎると思うなら、ポジショントークに傷つかない丈夫な心をもち、まずは彼女の持ち場を労ってあげることだ。 

 

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「美人VSブス」的な正月番組を観て、世の中に一定数いる厄介な美人に思いを馳せる

あけましておめでとうございます、santapi総研です。元旦、卓球の愛ちゃんの披露宴のニュースを見てどう思ったか、それが一番手っ取り早いメンタルヘルスチェックになります。

 

年始に、TBS『好きか嫌いか言う時間』の正月特番を観た。その中に「見た目で得した女vs損した女」という企画があり、それぞれの代表がスタジオに集い熱い討論を繰り広げていた。

 

見た目で得した女側のグラビアアイドル(石岡真衣)が主張していて、他の正月特番でもモデル( 眞木美咲パメラ)が豪語していたこと。それは「昔ブスだった私が努力して美人になったんだからあなたも努力するべき」論だ。

 

彼女たちは人生のわりと早い段階で美に目覚め、外見を磨く努力をし、周りから美人と言われる容姿を手に入れたのだろう。

 

黒目が大きくなるカラコンを入れたり

糖質制限ダイエットをしたり

歯並びを治したり

(↑ 番組で言っていたわけではなく、ただの妄想)

 

 そういった努力の末に美人の称号を得た人が、努力もしないで不美人に甘んずる人に嫌悪感を覚えるのもわかる。というか、美人側の発言で好感度を上げるポイントがもうそこしかないのもよくわかった。

 

 

あと番組を観ていて、美人にもいろいろなタイプ(の顔)がいるなあと思った。彼女たちは、「ほらほら美人になってみろ?美人の上には美人がいて美人の下にもまた美人がいるんだぞ!美人って大変なんだぞ!?」って顔してた。(私はこの段落だけで美人と7回も言いました

 

よく「あいつ美人だけど、俺のタイプじゃない」と男子同士で話しているのを聞くことがあるが、もし自分がその美人で好きな人に言われたとしたら、すれ違いざまの「このブス!」くらいショックだろうと妄想する。少女漫画『君に届け』でも「(私が可愛くても)風早がすきになってくれなきゃ意味がないじゃん!!」って超絶美女・胡桃ちゃん(本名は胡桃沢 梅)が爽子(あだ名は貞子)の前で号泣していた。……誰か、早く、、「みんなちがって、みんないい」改革を推し進めてくれないか。

 

そういえば、精神科医水島広子氏の『女子の人間関係』という本に、女子が女子を褒めるときは反応を見ているという趣旨のことが書いてあった。美人だって例外ではない。というか美人だからこそ、褒められたときは自虐しなさすぎてもダメだし、自虐しすぎてもダメなのだ。美人オブザイヤーを目指すことの、圧倒的エベレスト感。やっぱり、早急に、、ミスズミクスを頼む!

 

 

 一方で、自分が美人以外だと気づいたときに、個性を磨くパターンもある。冒頭の番組にも、外見で損した経験をバネに勉強を頑張り、脳外科医とファッションデザイナーになったという女性(Drまあや)が出ていた。

 

個性という括りで言えば、ミュージカル俳優の山崎育三郎も『おしゃれイズム』で話していた。アメリカへ留学した高校時代、アジア系の生徒が自分以外にいなかったため友達ができなかったが、パーティーで皆の前でダンスを披露したら、次の日から「IKU」と受け入れてもらえたと。……その勇気に、恐らく全米が涙したはずだ。

 

 個性というのは何も芸や特技だけではない。

 

まじめ

家族を大切にする

人の悪口を言わない

 

なんていうのも、立派な個性だ。思うに個性というのは、自分を見失ったとき、灯台のように戻るべき道を照らしてくれるものなのだ。それも一生、だ。

 

 

最後に、世の中に一定数いる厄介な美人について言及したい。

 

歌ウマさんとして学祭の人気者だったのか

学年一の美女かヤンキーと幼馴染なのか

親がインスタネイティブ世代なのか(←ここだけ急に近未来の話)

 

何がそうさせているのかは知らないが、外見だけでなくすべてにおいて自己評価が高い。自分に自信があるのは、むしろいい。幸せな人生に欠かせないのは自己肯定感だ。I'm OK, you're OK は基本だろう。

 

だが、ドラマ『3年B組金八先生(第5シリーズ)』の健次郎ように、ちょっと目を離した隙に同級生を睨みつけているような人は心配だ。自己肯定感は行方不明、インナーチャイルドは3歳児レベルかもしれない。だって本当の美人は、I'm OK, you're OKの精神に溢れているはずだから!(大事なことなので二回言いました)

 

 なんてったって自己防衛がすごい。

 

捕らわれようものなら口から茶色い液体を出すバッタのように

後輩芸人のゆりやんレトリィバァにイジられようものなら「ゆりやん!」って目をマジにして怒るコロチキのナダルのように

 

自分の地位が脅かされようものなら、あらゆる技を使って威嚇してくる。

 

よくあるのは、人を下げて自分を上げるという技だ。

 

Mちゃんって毒舌で面白いね!」とか

Mちゃんってダイエットしてるんだよね!尊敬するううぅう♪」とか

Mが気になっているT氏のいる前でわざと言ってくるなど。

 

そして、自分が言いたくて仕方がない悪口を人に言わせるという誘導技もある。

 

例えば、職場のゴシップ。「学生時代から長く付き合っている彼女がいたはずの同期・T氏が、二股相手と今度デキ婚する」という、誰もが飛び付くような話題を提供「だけ」する。

 

で、

「引くわぁ……」とか

「ゲスかよwww」とか

Mが言うのをにんまりと聞いている。

 

 

……「だけ」と思ったら大間違い、「そういえばMちゃんがT氏のこと……あ、やっぱり何でもない忘れて」って結局言いふらすのは、実はこいつだ。

 

 

なんせ匠の技なので、ぼけっと聞いているとその話術に呑み込まれてしまう。巧みな言葉選びに、なんて清廉潔白な人なんだとすら思ってしまう。だが、こういうタイプは自分はいとも簡単に人の悪評を言いふらすくせに、周りが自分のことを良く言いふらすように計算尽くなのだ。やれやれ。

 

 

結論、人を下げて自分を上げようとする美人は金輪際、美人とも友とも呼ばない。

 

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